友人が命の危機にあるときの祈りについて

とても大切な友人の息子さんから

「母がくも膜下出血で倒れ
いま 意識がなくここ数日がヤマ場だと言われました。
集中治療室にいます」

と連絡がありました。行くこともできない。
祈ることしか できないが どう祈ったらいいのか?

という ご相談がありました。
(許可を得て やりとりを 少しアレンジして掲載します)

わたし自身にも 同じような経験があり
その連絡を受けた時の 混乱はよくわかります。

ほんの数日前 普通に電話で話していたのに!
ショックでした。

「**さんの命を助けてください!」
と とっさに祈りました。

けれど 違和感がありました。

え??? なぜ こんな当然のことに違和感が?

その違和感を感じてみました。

それは

わたしは 常日頃から

  • わたしたちの命は
    ひとつなる大いなる源=喜び=愛=宇宙=サムシンググレート=光 etc.
    からやってきて そこに戻っていく
  • 人間でいることは
    途切れることのない魂の繋がりのなかの
    区切られた一部である
  • だから むやみに「死」を拒絶することは 違うと 思っている

そこからの 違和感でした。

それでも
目の前の愛する人の肉体の終わりが来るかもしれない時

少しでも 長く一緒に居たい
まだまだ 生き続けて欲しい
と 思うのは 当然。

ずっと ずっと 愛する人と一緒にいたい。

痛いほど よくわかります。

だから

「命を助けてください」

「奇跡的な回復をお願いします!」

「奇跡は起こりました」

と 祈り 願えばいいと思うのです。


それでも どうしていたらいいのか?
ということに対して わたしがお伝えした祈りは

「**さんの心(魂)が 平安ですように」
「**さんが 幸せですように」
「全てにとって 最善の喜びの道が開かれます」

と祈り 安心のエネルギーをお送りすることです。

必死さではなく 穏やかな平安なエネルギーを送ります。

その友人や 大いなるものを信じていよう。

命を助けてくださいと願うのは

肉体の危機にある

友人の魂の願いかどうかは わからない のです。

でも 平安に だなんて言ったら

死んでしまうかもしれないじゃない!

と 言われました。

そう。

それは そうなるかもしれません。

でも それは その友人の命の選択なのです。

その選択を信じていよう。

わたしたちの【祈り】は 力となって
愛となって 必ず届く。

けれど その結果は 委ね手放すしかありません。

たくさんの【祈り】の光を纏って
奇跡的に還ってきて肉体を通しまぶしい光を見せてくれるのか
そのまま 旅立ち 光と同化し別の形のエネルギーとなり循環していくのか
その方が どう選択するかは その方の魂にお任せするのです。

わたしたちは

純粋な愛のエネルギーを贈ればいいだけ。
とてもシンプル。

最近は SNSでも
祈りを お願いします。
という記事に時々あたりますね。

この考えがしっくり来るかたは
そんな時の参考にしていただければと思います。

命を助けてほしい
と せいいっぱい願っている方を 否定するものではなく

お読みになったかたが これに 共感したとしても
聞かれてもいないのに
このことを お伝えする必要はありません。

ちなみに わたしの友人は
3年前に倒れ 後遺症は残っているものの
元気に過ごしています。


自分やあなたのパートナーや
親や子どものことじゃないから
そんなことが 言えるんだよ!

と 思わ方もいらっしゃるかもしれません。

そうかもしれないですね。
その時は 「命を助けて!」と祈るのかもしれません。

それでも

本当に愛しているからこそ
相手の魂や宇宙を信じ
純粋な祈り「幸せで 平安で」だけを贈り
手放していたいと 今は思っています。

光の世界でまた 会えるし
肉体がなくても
魂はそこにいるんだと 感じる出来事って必ずあります。
(そう望み信じていれば)

愛をこめて

美喜子

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