虹色の愛とは

虹色の愛 = 無条件の愛

【虹色の愛】という言葉は ファシーカめいさんの産み出した言葉で、使用をお伝えして使わせていただいています。→ ファシーカめいさんのブログ  魂の卒業旅行 ソウルバディジャーニー

 

わたしたちは、源からやってきて、源に還っていきます

その源のことを【宇宙】 【神】 【サムシング・グレート】 【大いなる光】 【愛】など 様々な言い方で 人は呼んでいます。

もともと ひとつであり【大いなる喜び】であったわたしたちは、それを味わいたくて、それを拡大したくて、【個】として肉体を持って、今ここにやってきた と わたしは思っています。

ですから、わたしたちは、どんなにドロドロにネガティブになっていたとしても、光であることに変わりません。

ですが、肉体を持つことで、全体 【大いなる喜び】を完全に忘れ、その意識から遠のいているために、分離の不安が激しく、世界にも苦しみが渦巻いています。 その分離の不安の現実化が 極に近づいているので その反対の 【大いなる喜び】を 思い出そうよ! という 人たちも増えてきてるのが いま なのではないでしょうか?

【今ここ】にいながら、わたしたちは【大いなる光】を思い出し、味わうことで、わたしたちの日常は幸せになり、それが広がれば、地球は幸せな場所になっていきます。

 

・・・と 書くと むずかしい 堅苦しい 印象を与えてしまうのですが、ファシーカめいさんは、その【大いなる喜び】のことを(または向かうわたしたちの 愛の在り方を)【虹色の愛】と 柔らかに表現されていました。

わかりやすく わたし自身も気持ちに沿う言い回しだと感動し、ファシーカめいさんにご連絡をし、使わせていただくことにしたのです。

めいさん ありがとうございます。 → めいさんのこと

めいさんからは 虹色の愛 について
「本来ひとつである「愛」を私たち人間は分割して都合のいいように使っていること、その分かれ方はあたかも太陽光が分かれて虹に見えるのと重なる、という意味で使っています」
と ご説明いただいています。

 


虹色の愛 というのは
「虹色」という言葉から連想されるような ただ綺麗 ということだけではありません。

わたし自身は それを 無条件の愛 パーフェクトラブ 完全な愛の状態 などと言っていました。その在り方は 全てを内包しており 常にそう在るのは 古い観念や常識にしがみついている時には難しく 抱えていたエゴを手放した 軽やかな喜びの状態だと思っています。

わたしも ずいぶん ねばねば どろどろ を 洗い流したな 手放したな と思っても 何か起こると 苦しくなっていることに気付きます。 ただ、以前は もしかしたら何年も 留まっていたようなことを 30分くらいで手放せるようになったと 感じています 笑

 

 

 

以前に 周りの人と深い話になっていったので 「わたしは 無条件の愛を目指しているんです〜」と 新宿の飲み屋さんで 話したら「そんなの キリストとかの世界じゃないの!? むりむり!」と あっさり切られたり 笑

親しい友人さえ わたしの恋愛について少し話したら「そんなの もうとっくにわたしだったら 止めてるわ!」と言われたり 虹色の愛 を目指すのは 一般的にはまだ 大きな 重たい 有り得無いこと と思われているようです。

ですが・・・

真の幸せは 虹色の愛 で いることから だと思っています。

その状態で 人ともつながり合うことが 最も 幸せなこと。
そのことを 愛でつながる ということだと思っています。

わたしにとっては 当然 向かうところ(そうなれないけれど)であり どこなんだろう? どう在ることなんだろう? と 日々考え続けるものです。。。

でもですね。。。
この3次元の時空を楽しむ地球で 何を選び何を体験していくのかは
個々の魂の自由。
ドロドロネバネバも 個別の身体 全体性から離れた意識のこの地球で味わえる大きなこと。

最近のツインレイ、ツインソウルの考え方の広がりも影響しているのか そんな 虹色の愛 を意識して 生きる人たちが けっこう沢山 最近はいる! と感じ とても嬉しく感じています。

虹色の愛を 率先して生きようとする人たちのことを MIKOTOでは ライトワーカー と呼んでいます。

そして ライトワーカーの方々と 少しずつ連携を 深めながら 広めながら 活動していきたいと思っています。

 

 

LOVE 美喜子

 

 

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